山中漆器の歴史

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山中漆器の起源をたどる
山中漆器の源流
山中漆器の源流は、天正年間(1570〜1592)、大聖寺川(だいしょうじがわ)沿いに山中町より約20km上流の真砂村(まなごむら)に、越前から木地師が移住し、その挽き物の技術が伝わった頃から始まると言われています。
 
諸役御免の綸旨
現在、真砂に伝承されている記録によると、明暦4年(1658)の村御印[大聖寺藩(だいしょうじはん)のお墨付]と称する文書によって、九谷村領内の森林伐採の特権が与えられたとされています。当時僅か17戸の真砂村民に、これだけの特権が付与された背景には、当時の真砂村民は惟喬親王(これたかしんのう)に随従した、吉河(よしかわ)・鞍谷(くらたに)・大同丸(だいどうまる)の三氏の子孫と称して木地屋を業としており、その証拠として諸役御免の綸旨(天皇の詔勅を朝臣が下達した文書)を奉持していたことがあげられます。今も真砂には、これらの綸旨や菊花御紋章入りの提灯、冠等が伝えられています。

真砂から山中への木地挽きの伝承に関しては、確実な資料を欠くため断定はできませんが、当時の状況から、真砂から移住して、温泉客を相手に木地挽きを業としたものもいると考えられます。

 
山中漆器の歴史
その後、江戸時代後期天保年間(1830〜1844)の蒔絵師 会津屋由蔵(あいづや よしぞう) 弘化年間(1844〜1848)の糸目挽き(いとめびき)名工 蓑屋平兵衛(みのや へいべい) 近代に入ってからは加飾挽き(かしょくびき)の名工 筑城良太郎(ついき りょうたろう)らの努力により山中漆器発展の基礎が築かれてきました。
 

■新素材導入で市場はさらに拡大

当初は白木地の挽物で、湯治客を対象とした土産物が主でしたが、江戸時代前期の慶安年間(1648〜52)から文化年間(1804〜18)にかけて全国から名工を招聘。技術導入により、現在に承け継がれている千筋挽(せんすじびき)、そして朱溜塗(しゅだめぬ り)、独楽塗(こまぬり)、色塗漆器など、さまざまな技法が開発されました。土産物から漆器生産へ。山中漆器は本格的な地場産業としてスタートを切ったのです。
また昭和33年頃には、木製漆器を基盤とし、食器類を中心に発展してきた山中漆器にもプラスチックがとり入れられました。伝統的な木製漆器に加え、低廉価格で多様なデザイン・機能性を持ったプラスチック漆器の生産により、市場はより一層拡大し、国内外のさまざまな需要に応えてきました。


■ニーズに応える商品づくり
現在、山中漆器は山中町と加賀市(かがし)に漆器団地を形成し、製造工程別 の分業による量産体制を確立しています。そして多様化・個性化するライフスタイルに対応した食器やインテリア用品などの新製品開発に力を注ぎ、ギフト、ブライダルをはじめとする新分野へ進出。地場産業としては、全国トップの生産額を誇る一大産地へと飛躍的な発展を遂げています。
今後も400年を誇る歴史と伝統を継承しつつ、さらに新しい技術を駆使しながら新素材・新市場の開拓に努め、時代のニーズにマッチした商品づくりを積極的に推し進めていきます。

ニーズにマッチした商品
   
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