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「火の御子」【ひのみこ】には、宝殿と拝殿がある。
《17》
おしなべて、本宮の神殿仏閣は、越後・能登・加賀の三ヶ国に濃密に分布する。詳しくは記していないのか。すべて北陸道の諸国は白山の境内である。その中でも加賀国は境内の中の境内である。〈以上は本宮の王子・眷属である〉
《18》
さて、白山本宮は、『延喜式神名帳』に掲載されている。三十三年に一度の御造替することになっている。国司が任期を延長された功によって、造替されることがある。白山本宮は、国司が自ら専任になって造替を行う神社である。国司が参拝するときに勅使が付き従うのは、北陸道では白山本宮だけである。さて、白山本宮が「本宮」と称するのは、白山禅頂の本宮であるからである。神主は寛弘年間以来「上道氏」【かみつみちし】である。本宮創祀以来の神人には「守部」【もりべ】と「椋」【むく】の両流がある。ともに虫丸の子孫である。長吏【ちょうり】は藤原氏の末裔である。
院主【いんじゅ】には、その功労により順次就任した。
さて、禅定(御前峰)の御像は元来は木仏であった。禅房の聖人(泰澄)は、その御像を本堂に安置したのである[根本は玉殿の岩屋に現れた神のお姿を木を彫って作ったので、その神の現れた岩屋を「古所」と名付けられた]
。後に南厳房【なんげんぼう】の勧進によって、奥州の藤原秀衡は五尺の金銅像を鋳造し、それを禅定に安置した。小白山(別山)の御像については、美濃国長滝寺の竜明房【りゅうめいぼう】が五尺の金銅像を勧進したものである。
《19》
(山頂の)三所権現の御宝殿は、加賀馬場が本馬場であるので、加賀馬場が造替するしきたりである。小白山(別山)の御宝殿ばかりは、越前馬場よりしきりに申し出があったので、最近ではこれを造替する権利を越前馬場へ引き渡したとのことである。 |
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