歴史物語

※各時代の年代は藩主の生没年で区別している。

時代とともに移ろった兼六園

兼六園は、水戸の偕楽園や岡山の後楽園などの大名庭園のように、一時期に一気に造られたものではない。この場所は、加賀藩初代藩主・前田利家の金沢入城から現在に至る約420年の間に、いく度かの大きな変遷を遂げている。兼六園作庭の端緒は、5代藩主前田綱紀が金沢城向かいの傾斜地に蓮池庭と呼ばれる庭を造ったことと言われている。蓮池庭上部の台地(現在の千歳台周辺)と一体化し、今に見る兼六園を形づくったのは、それから約180年を経た13代藩主・斉泰の時代である。その後、明治に入ってからも、県や国の意向でさまざまな手が入れられ、現在の形に落ち着くまでには数多の紆余曲折があった。