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ふぐと人の関わり

■ふぐと人の関わり年表

黒字:日本の出来事/赤字:世界の出来事
年代 出来事
1500〜3500万年前   サバフグの祖先が発生。
150〜200万年前   トラフグの祖先が発生。
縄文時代
約1万3000年前〜約2300年前
  千葉県、山口県など日本各地の縄文時代の遺跡からふぐの骨が出土、当時の人々が食していたと推測される。
古代エジプト
BC3150〜BC30
  マスタバ(大型墳墓)の壁画に、ほかの魚とともに「ふぐ」の彫刻(約4500年前)。
ハトシェプト女王葬祭殿の壁画に「ふぐ」が描かれる(約3500年前)。
中国・秦
?〜BC207
  始皇帝時代(BC221〜BC210)の書物『山海経』に「(ふぐを)食べれば人を殺す」の記述。
中国・後漢
25〜220
  後漢の思想家・王充の『論衡』に「肝に毒あり」の記述。
中国・随
581〜618
  随代の医師・巣元方の『病原候論』に「卵巣と肝に毒あり」の記述。
奈良時代
710〜794
養老4年(720) 『日本書紀』の斉明天皇の項に「出雲国の浜辺に雀魚(ハリセンボン)が打ち上げられた」の記述。
平安時代
794〜1192
延喜18年(918) 日本で初めての本草書(薬となる食物や鉱物について書かれた書物)『本草和名』に「布久」の記述。
『倭名類聚鈔』に「布久」「布久閉」の記述。
中国・宋
960〜1279
  食通として知られる詩人・蘇軾(蘇東坡)は「一死にも値する」とふぐの味を賞賛、ふぐについての詩も詠んでいる。
中国・明
1368〜1644
  明代に書かれた『本草綱目』に、ふぐの精巣(白子)を古代中国・春秋時代の美女・西施の乳にたとえる記述。
安土桃山時代
1573〜1603
文禄元年(1592)・慶長2年(1598) 文禄・慶長の役で九州に集まった武士団がふぐを食し、多数の死者が出たことから、豊臣秀吉は「河豚食用禁止の令」を発布。
江戸時代
1603〜1868
  江戸幕府成立後も、「ふぐ食の禁止」は引き継がれる。なかでも、尾張藩と長州藩では厳しい取り締まりが行われた。
しかし、江戸時代を通じて「ふぐ食」は庶民の間で普通に行われていた。汁もので食べていたらしい。「ふぐ」にまつわることわざもあり、俳句や川柳にも詠まれる。
元禄年間
(1688〜1703)
松尾芭蕉、「ふぐ」の句を詠む。
あら何ともなやきのふは過ぎて河豚汁
河豚汁や鯛もあるのに無分別   ほか
南太平洋 1770年代 イギリスの探検家キャプテン・クックの航海日誌に、ニューカレドニアでふぐを食べて中毒になったとの記述あり
  文化・文政年間
(1804〜1829)
小林一茶の俳句に、ふぐについての句が残る
鰒(ふぐ)食はぬ奴には見せな不二(ふじ)の山
五十に鰒の味を知る夜かな ほか 
天保元年
(1830)
長州藩の侍医・賀屋恭安、日本で初めてのふぐ専門書『河豚談』を著す。
安政年間
(1854〜1859)
吉田松陰、「河豚を食はざるの記」を記し、藩のふぐ食禁止令を守ろうとする姿勢を表明。
安政5年
(1858)
加賀藩への報告書「加越能湊々高数等取調書」「加越能諸湊家数人数等調」に、本吉湊(石川県白山市美川地区)で、佐渡から干しふぐ、佐渡・輪島からふぐの子を荷下ろししたとの記載。
幕末期 下関の豪商・白石正一郎の日記(白石家文書)にしばしば「ふくの料理」についての記載あり。勤王の志士たちがふぐ料理を食べていたことがわかる。
明治時代
1868〜1912
明治18年
(1885)
明治政府、「違警罪即決例」の発布。その中で「河豚を食う者は拘留科料に処す」とふぐ食禁止。
明治21年
(1888)
伊藤博文の働きかけにより、山口県に限り、ふぐ食が解禁される。
明治25年
(1892)
東京都でも、指定された方法で調理されたふぐに限り、販売と食用を認める。
明治中期 鉄道等の発達で運送業としての北前船衰退。石川県金沢市、白山市の海産物問屋が魚介の糠漬け製造等に転換。
現在残る「ふぐの卵巣の糠漬け」製造業者の多くは明治期に創業。
「ふぐの卵巣の糠漬け」をはじめ魚介の糠漬けが特産品化していく。
明治42年
(1909)
田原良純博士、フグ毒の抽出に成功し、テトロドトキシンと命名。
昭和時代
1926〜1989
昭和16年
(1942 )
大阪府では法規制はあるものの、公然とふぐ食が行われていた。この年、法的にも「ふぐ食」が解禁となる。
昭和22年
(1947)
商品衛生法、施行。「人の健康を損なう恐れがないように処理すること」によって、ふぐの販売が認められる。
ふぐの取り扱いについては、各都道府県で規定が設けられる。
昭和23年
(1948)
「ふぐの取り扱い」について、大阪府で全国に先駆け、違反すれば罰則規定のある「条例」が制定される。
昭和24年
(1949)
東京都でも「ふぐの取り扱いに関する条例」が制定される。
以降、昭和56年までに、京都府、愛知県、香川県、宮崎県、熊本県、鳥取県、神奈川県、鹿児島県、高知県、滋賀県、岡山県、千葉県、愛知県、静岡県、奈良県、福岡県、山口県で「ふぐの取り扱いに関する条例」が制定される。
昭和39年
(1964)
山口県で種苗生産に成功し、本格的なふぐの養殖が始まる。
昭和50年
(1975)
食品衛生法の変更にともない、石川県で「ふぐの卵巣廃棄」の指導がなされ、「ふぐの卵巣の糠漬け」製造が存続の危機に。
昭和52年
(1977)
製造業者らが製造継続を願い、石川県に嘆願書を提出。
(嘆願書に署名したふぐ糠漬粕漬加工業者は20名)
昭和55年
(1980)
社団法人石川県ふぐ加工協会設立。
昭和58年
(1983)
石川県より、県内での「ふぐの卵巣の糠漬け」の製造許可が下りる。
東京大学・本郷キャンパス(加賀藩の江戸藩邸跡)で発掘調査が始まる。ふぐの骨も出土し、藩士がふぐを食べていたと推測される。
平成時代
1989〜
平成7年
(1995)頃〜
雑誌・TV等で石川県の「ふぐの卵巣の糠漬け」が取り上げられ、全国的に知られるようになる。
平成18年
(2006)
「石川県ふぐの処理等の規制に関する条例」施行。
社団法人石川県ふぐ加工協会会員11名。